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チャイナタウン (中 華 街)
昔・・・ラーマ一世がロート運河の内側に城壁を築き王都建設を試みようとした時、すでに中国人商人が
住みついていました。
それで、王は、その中国人たちを城壁外のサンペン寺院のあたりに土地を与え移住させました。
チャイナタウンは、 サンペンから始まり、平行するようにヤワラー(ト)通りが建設されました。
新天地を求めた、華僑が続々と住み着き、現在のようなにぎわいをみせるチャイナタウンとなりました。 |
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サンペン |
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サンペンは、ヤワラート通りと平行して走る細いアーケード
入り組んだ路地が迷路のように続き、無秩序な人の波と商品を運ぶ荷車、バイクに押し流されてしまいそうです。落ち着いて見ようという雰囲気には到底なり得ない場所ですが。次の路地には、どんなものがあるのか不安と期待でドキドキします。
文房具や雑貨、靴などの問屋が多い。小売りもしてくれるので、まとめ買いをして、値切れば、いい買い物ができすです。
サンペンとは中国語で三叉路という意味があります。
ラーマ一世は、サンペンの中国人に対して、中国のビヤ賭博というものを許可したので、サンペンは博打うちの街として知られていました。
中国人に雇われた荷役の肉体労働者は、日々の過酷な労働の辛さを酒や薬、女性、賭け事で癒していたので、この街は、アヘン中毒者、ばくち打ち、娼婦の巣窟となっていました。
この街の独特の雰囲気や熱気に圧倒されたポール・モーランは、20世紀初め、次のように書いています。
「雑然とした路地に、蓄音機のけたたましい音が鳴り響き、トタン屋根にあられが打ちつけるような麻雀パイの音、まさにここは、中国だ。が、本当の中国が姿を現すのは、公営質屋を見た時だ。雀士は宝石や絹の服、パイプなどを質入れに来る。
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宝くじ、闘鶏、闘魚は勿論、ここから10日もかかる上海で行われる競馬に、賭け屋 を通じて
賭ける。メロンの種の数でさえ、かけの対象となってしまうのだ。」と。
サンペンは
、バンコクの市場のひとつであるだけではなく、社会の底辺に
あった中国人労働者が住むスラム化した中国人居住区でもあったようです。 |
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| 棟割り長屋の商店 |
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アヘンを吸いながら博打に興じる人 |
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ヤワラー(ト) |
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サンペンと平行するように続く、ヤワラート通りは、1890年から1898年頃にかけて建設されました。1950年代まで、タイ繁栄の象徴で,流行の最先端をいっていました。
ラ−マ六世時代(1910年〜1925年)タイで最高層の7階建てのビルが建てられました。その屋上で毎晩ジャズが演奏され、時代の勢いに乗った実業家達の社交場となっていました。
かつては、ビジネス街と共に歓楽街としての顔を持つ賑やかな場所でした。
この通りに立ち入ると、漢字で書かれた、極彩色の看板が建ち並び、チャイナタウン独特の圧倒的なパワーを感じます。
つばめの巣、ふかひれ、乾燥のりなどの中国食材、漢方薬、金行と呼ばれる貴金属店、屋台などがひしめきあう通りを人に押しながされるように進んで行くと、中国語が飛び交い、ここがバンコクなのかどこか中国の街なのかわからなくなります。
特に、旧正月が間近にせまると、この界隈は、正月飾り、ご馳走用の高級食材で溢れかえり、わくわくするような雰囲気は更に盛り上がります。
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タラート・マイ (新市場) |
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ヤワラー(ト)通りに垂直に交わるプレーン・ナム小路の両側に生鮮食料品や野菜果物を中心とする食材を扱う店が所狭しと立ち並んでいる。京都の錦市場のタイ版なんて思ってしまう。香辛料、タイスキに入れる練り製品、なまこや干物、肉のぶつ切り、台所雑貨、高級果物などが格安で手に入る。屋台で売られているシュウマイや肉まんを頬張りながらぶらぶら買い物をすると楽しい場所です。
でも、くれぐれも、我が者顔に突入してくる荷車やバイクに足を引かれないように御注意を!
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タイの中国人
タイには、現在中国系の人が600万人(タイの人口10%)とも、またデータによっては800万人いるとも言われています。アユタヤに都があった時代(1315年〜1767年)にも中国人街があり、やはりアユタヤの人口の少なくとも10%は中国人だったという記録が残っています。
華僑と呼ばれるのは、国籍をとらず、外国に住んでいる中国人のことを言います。タイでは、華僑ではなく、タイの国籍をとっている華人と呼ばれる人が圧倒的に多く、タイ人との結婚も多く、タイ人化が進んでいます。タイ社会に根を下ろし、経済界、政界を担い、多大な影響力を持っています。金融、流通などの大手企業やタイの25財閥のうち23が華人財閥でで占められています。タクシン現首相も前首相のチュアン氏も華人で、更にプミポン国王のお母様も中国系の人です。
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