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王    宮 
副王宮 (国立博物館/タマサート大学)
 

かつての王宮前の様子

 

ラーマ一世時代に創建された
マハプラサート宮殿



副王宮
(副王の住居として使われたいた建物)

  ブッダイサワン礼拝堂の内部
壁画が描かれている

国家統合の象徴
王は権力を維持するために、王は霊力を備えた神的存在であることを演出してきました。
そして、高い塀で囲まれた絢爛豪華に聳える王宮は、王の霊力をもって、宇宙とこの世を結び付けるステージと考えられていました。
トンブリの タクシン王がアユタヤ貴族たちに追い落とされた後を受け、新しく王になった、チャクリー将軍(後のラ−マ一世)は、対岸のバンコクに国家統合の象徴となる王宮と王室寺院を建設し、タイ人の誇りである栄華をきわめたアユタヤを再現しようとしました。

新王宮の機能
王宮の面積は、218,400平方メートで、すべてが城壁で囲まれて、その全長は1.9kmに及びます。この城壁内には、王族の住居、国務を司る役所、王室専用寺院、さらに、警備の兵隊たちの宿舎、象小屋、馬屋、商店などが立ち並び、最盛期には、4,000人もの人々が暮らし、ひとつの町の様相を呈していました。私達が想像する日本の皇居のイメージとは、かなり違うようです。
創設から残る宮殿
代々の王によって、敷地内に様々な建物が建築されていますが、創設期からのものは
、以下の二つの宮殿です。いずれも複数の建築物の集合体で。それぞれに目的が決まっています。
デュシット・マハプラサート
宮殿
ここは、国王の公式な行事の舞台となる場所として建設されました。
北側の部分は、謁見の間があり、王のお印である九層の白い傘がつけられた、真珠貝の装飾が施された玉座が置かれています。南側の部分は、国王の居所となっていました。
調和のとれた美しいこの宮殿は、 純粋なタイ伝統建築様式で作られています。

建物のレイアウトは十文字になっていて、屋根の先端は、須彌山(スメール山)を象り、神々の住む場所を表しています。四方を正装で王冠をつけたガルーダが支え
、切妻の部分には、ナライ神の姿が見えます。(ナライ神ー人間の姿をして現れ、王と連係して人間を救済する。)
プラ・マハ・モンティンエン宮殿
謁見に使用されたアマリンタラ宮殿。国王の即位式や王室の儀式が執り行われるバイサル宮殿 。ラーマ一世はここで崩御されています。そして、王の居所、寝室として使用されたチャクラパットピーマン宮殿の三つの建物から成っている宮殿です。
タイにも大奥があった?
ワン・ナイ(宮殿の中)といわれ、王宮内には、日本の大奥と同じようなものがありました。王様以外の男性は足を踏み入れることはできない、閉ざされた場所でした。侍従も警護人もすべて女性でした。

副王宮ー前宮殿(ワン・ナー)
1782年にラーマ一世が自分の宮殿と共に、自分を補佐する副王のために副王宮を建設しました。現在は、博物館とタマサート大学の敷地になっています。防衛のため王宮前に位置しているので前宮殿(ワン・ナー)と呼ばれています。敵は、かつてチャオプラヤ川を下り、北からやってきたため、川の上流にあるのに、前という言い方をしています。博物館の門を入り、すぐ左手の建物(歴史館)“シワモッカビマンホール”謁見の間として使われていました。当時、壁はなく、屋根と柱だけの建物でした。奥に進むと、右手にブッタイサワン礼拝堂があります。1795年に建てられたもので、副王が護るお寺でした。タイを代表する仏像「シヒン仏」が安置されています。内部には、仏陀の一生を描いた見事な壁画を見ることができます。

更に奥に進むと、タイ様式の建物があります。副王の住まいとして使われていたもので、興味深い使われ方をしていました。
正面玄関を入るとそこは、玉座の間になっています。そこには、ブサボクマラ玉座が置かれています。ラーマ一世が作らせたもので、バンコク時代の美術の傑作の一つと数えられています。金の見事な装飾は、しばし足を止め見入ってしまいます。
そこから、奥は、副王の日常生活の場でした。 季節によって、居所を移動させていました。建物を左、中央、右と奥に向かって分割し、左側は、南からの風がよく入る6月〜10月、中央は、10月〜2月の寒い時期に、右側は南の日差しがを避けられる3月〜5月に使用されていました。

王と副王

副王とは、王様の代理のような存在で、通常王様の兄弟が任ぜられました。副王は独自に軍隊を持ち、王の持つべきもの全てを持っていましたが、最終決定権だけは、持つことができませんでした。ラーマ一世の副王は、王とのすさまじい確執の末、志半ばで病死しています。この副王宮には、その副王の思いがのりうつっているといわれ、次の副王は別の場所に居を構えていたそうです。
西欧諸国との貿易がさかんになるラーマ五世時代、西欧人には、副王制が理解されにくく、様々な混乱を引き起こしたので、廃止されました。

国立博物館

副王制度廃止を機に、1887年、全面に壁を施し博物館として改装されました。
東南アジア最大級の博物館で、タイ各地から集められた国宝級の美術品、工芸品が納められています。日本人ボランティアガイドグループの方々によるガイドツアーが、毎週水曜日、9:30から行われています。

タイ もの知りメモ
バンコク朝歴代九人の王様
ラーマ一世
ラーマ二世
ラーマ三世
ラーマ四世
ラーマ五世
1782年即位−1809年
近隣諸国との戦いと王都建設に力をそそいだ王。外国人を王都建設の労働力として奴隷や捕虜という形で多く使った。

1809年即位−1824年
偉大な父(ラーマ一世)とともに 戦場に出かけた。ビルマの脅威がなくなり比較的安定した時代文学的才能に恵まれ、彫刻家としても有名。

1824年即位−1851年
さかんな中国貿易で、国の財源が潤う。豊富な資金で、寺院の創建3つ、寺院修復35実施。ラーマ二世が20歳の時、一般人の側室の子として生まれる。
1851年即位−1868年
映画「王様と私」のモデルになった王様。ラーマ二世の第一王妃の子。即位前、27年、仏門に入っていた。英語が堪能。西洋諸国と通商条約を締結
1868年即位−1910年
タイの近代化の父と呼ばれ、現在も人々の強い尊敬を受ける。行政、財政、教育、軍事、郵便、外交、などの制度を改革
多数の外国人専門家を採用、登用
ラ−マ六世 ラ−マ七世 ラーマ八世 ラーマ九世 ラーマ十世(Who?)


現国王には一男、三女の子供がいる。順当ならばワチラロンコン王子が王位継承者だが、ラ−マ九世(プミポン国王)は、女性でも継承できるように制度を変更している。様々なスキャンダルを持つ王子ではなく、次女のシリントン王女が国民の支持を強く集めているので、王女が即位ということがあるのかも?

  1910年即位−1925年
英国留学の経験を持つ王
文学、演劇、芸術に造詣が深く自らも多くの著作を残す。晩年、王の浪費により巨額の財政赤字を起こす。結婚が遅く、後継男子に恵まれなかった。

 
1925年即位−1935年
兄たちの相次ぐ死により
予期せぬ即位となる。
財政赤字削減のため大幅な財政改革を断行。クーデターにより、専制君主制から立憲君主制へイギリスに渡り、退位を表明。英国で客死
 
1935年即位−1946年
ドイツで生まれ、スイスで育つ。現国王の兄。
ラーマ七世には、子供がおらず、また後継者を指名しなかったため、10歳で急きょの即位。父は、ラーマ五世の第69子。拳銃暴発により、21歳で死去

1946年即位−現在
現国王 米国で生まれ、スイスで教育を受ける。国民とともにある王を実践。王室プロジェクトを主宰。水資源開発、環境保護、農業開発、職業訓練等に力を注ぐ。国民の強い敬愛を受けている。


バンコクの歴史

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