![]() |
||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||
![]() |
![]() |
|||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
||||||||||||
![]() |
||||||||||||||
| Top>王宮・副王宮 |
| 王 宮 |
副王宮 (国立博物館/タマサート大学) |
||||||||||
|
|
||||||||||
| 国家統合の象徴 |
副王宮ー前宮殿(ワン・ナー) |
| タイ もの知りメモ | ||||
| バンコク朝歴代九人の王様
|
||||
| ラーマ一世 |
ラーマ二世 |
ラーマ三世 |
ラーマ四世 |
ラーマ五世 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
1782年即位−1809年 近隣諸国との戦いと王都建設に力をそそいだ王。外国人を王都建設の労働力として奴隷や捕虜という形で多く使った。 |
1809年即位−1824年 偉大な父(ラーマ一世)とともに 戦場に出かけた。ビルマの脅威がなくなり比較的安定した時代文学的才能に恵まれ、彫刻家としても有名。 |
1824年即位−1851年 さかんな中国貿易で、国の財源が潤う。豊富な資金で、寺院の創建3つ、寺院修復35実施。ラーマ二世が20歳の時、一般人の側室の子として生まれる。 |
1851年即位−1868年 映画「王様と私」のモデルになった王様。ラーマ二世の第一王妃の子。即位前、27年、仏門に入っていた。英語が堪能。西洋諸国と通商条約を締結 |
1868年即位−1910年 タイの近代化の父と呼ばれ、現在も人々の強い尊敬を受ける。行政、財政、教育、軍事、郵便、外交、などの制度を改革 多数の外国人専門家を採用、登用 |
| ラ−マ六世 | ラ−マ七世 | ラーマ八世 | ラーマ九世 | ラーマ十世(Who?) |
|
|
![]() |
![]() |
![]() |
現国王には一男、三女の子供がいる。順当ならばワチラロンコン王子が王位継承者だが、ラ−マ九世(プミポン国王)は、女性でも継承できるように制度を変更している。様々なスキャンダルを持つ王子ではなく、次女のシリントン王女が国民の支持を強く集めているので、王女が即位ということがあるのかも? |
|
1910年即位−1925年 英国留学の経験を持つ王 文学、演劇、芸術に造詣が深く自らも多くの著作を残す。晩年、王の浪費により巨額の財政赤字を起こす。結婚が遅く、後継男子に恵まれなかった。 |
1925年即位−1935年 兄たちの相次ぐ死により 予期せぬ即位となる。 財政赤字削減のため大幅な財政改革を断行。クーデターにより、専制君主制から立憲君主制へイギリスに渡り、退位を表明。英国で客死 |
1935年即位−1946年 ドイツで生まれ、スイスで育つ。現国王の兄。 ラーマ七世には、子供がおらず、また後継者を指名しなかったため、10歳で急きょの即位。父は、ラーマ五世の第69子。拳銃暴発により、21歳で死去 |
1946年即位−現在 |
|
|
||||||||||||||||